"フランスに来て思ったのは、やっぱりフランス人は怠け者だということです。1998年に政府の決めた週35時間労働制は、月曜日から毎日8時間働くと金曜日は午前中で帰宅できることになります。もちろん同僚は5時か6時で帰りますし、土日休日に働くことはあり得ません。24時間のコンビニはありませんし、日曜日に空いているスーパーもありません。だんだん分かってきたことは、フランス人は怠惰だからこんな社会になったのではなくて、怠惰でいられる社会を未来の理想として、意識的にこの社会を作り上げてきたということです。"
"ケータイ小説を「下手だ、読むに耐えられない」と評するのは、どこか違うとわたしは思っている。あれは、言葉を持たないものが、言葉を持たない同志に向けて必死につたない物語を綴っている、その共犯関係で成立している世界なのだ。"
これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作である
"タイは、立憲君主制ということになっていますが、実際には国王の権力はそれ以上にあります。
実行力を伴なう枢密院は国王の実力行使の機関であり、国王は立法の拒否権すら保有しています。
さらに、軍隊は国民の軍隊ではなく、国王の軍隊です。
王室の財産はタイのどんな財閥よりも巨大なものです。
プミポン国王の高潔さ、人格は尊敬されてしかるべきですが、
そういった尊敬とは別に、
システムとしてタイの王制では、通常の立憲君主制ではありえないほど国王の権力が強いことは認識する必要があります。"
"ビルマの仏教ではこうやって忘れ去られる事が無上の弔いとされる。"
"日本の公共サービスや交通インフラは尋常ではなくレベルが高いです。
でもそのレベルの高さに慣れすぎてしまって、それが失われた状況に極端に弱い。しかも、慣れ切ってしまっているから有難味も感じられず、あんまりハッピーじゃない。損です。
日本の技術の「ガラパゴス化」などが指摘されていますが、ガラパゴスと言うなら、この「インフラの異様なレベルの高さ」こそが、最も「特殊日本的」なのではないでしょうか。ガラパゴスというより、温室か実験室のようです。普通の国なら武装したゴリラみたいなのに囲まれている「守られた楽園」が、日本全体に広がっているのです。
繰り返しますが、インフラのレベルの高さそのもの、格差の小ささそのものは、悪いことのわけがありません。
でも、あんまり高いレベルのサービスを無限定に提供してしまい、「レベルの低いサービス」を根絶やしにしてしまうことは、息苦しくてしかも融通が効かない社会を作ることにもつながってしまうのです。
格差を肯定し公共サービスを縮小する方向でものを考えるのは、平等を重んじたいムスリマとして心苦しい部分もあるのですが、多分、現実的でハッピーな平等というのは、実際にある様々な格差を一旦認めた上で、「貧乏は貧乏なりに」「ダメはダメなりに」生きていける、ということのようにも思えます。
一方で、今ひとつ懸念もあって、もしそのように格差をある程度肯定し、多様で緩い日本を作ってしまうと、今まで「均一高品質」「単一民族幻想」が取り柄だった日本から、全然長所がなくなってしまうのではないか、という気もします。日本の何がすごいかといったら、この異様な均質性であって、これを前提にするからこそ、軍隊のように管理された合理的な生産活動が可能だったのです。
裏を返せば、「均一高品質」なんて、所詮賃金奴隷をこき使うのに便利なだけで、実のところ皆んなを幸せにするものでもない、と言えるし、一周回って多少日本の競争力が落ちても、インフラをヘボくして細々やっていく方が、心理的にはハッピーな人生が送れる可能性もかなりあると思いますが。"
"今の若者が欲しいのは、もう「もの」ではないのだ。ものならいくらでもある。彼らが欲しがっているのは、「暖かさ」とか、「親しさ」とか、「楽しさ」とかであり、「熱狂」「感動」「静寂」「安心」といった抽象的なものなのだ。それらは「もの」からは、もう得られない。何故なら、彼らの周りには、既に「もの」が波のように押し寄せていて、彼らにどっぷり浸かっている。そして、その波に向かって、「自発」という小さなボードでサーフィンがしたいと憧れて眺めている。そんなふうに波(沢山のもの)を見ているのだ。"
"私が考える写真とはこうだ。撮影したときは、自分のもの。画像がカメラの中にある間も、自分のもの。自宅のマックで現像してるときも、自分のもの。現像が完了し、インターネットupload用のフォルダーにあるときも、まだ自分のもの。そして、インターネットにuploadするのだが、それはまるで飼ってる小鳥を窓から逃がしてやるようなもの。小鳥はどこかに飛んでいってしまうだろう。だが今度は世界中がその小鳥の歌を楽しむことができる-そう、もう自分のものじゃないのさ。"