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今回の「紫を着よう」という運動は、10月20日を「Gay Spirit Day」とし、これらの被害者を追悼し、同じような目にあっている若者に、支援者がいることを示し、彼らのセクシャリティを支えてくれるコミュニティがあることを示そうというもの。
これは特に、どこかの団体が中心となって呼びかけているムーブメントではなく、カナダの10代の女の子Brittany McMillanが、Tumblrを通じて呼びかけたものが、facebookや各種ニュースサイトを通じて草の根的に広まっている。
"10月20日に紫を着よう。10代のLGBTを支援するムーブメント - あたしが女とセックスする話はシモの話じゃなく人生の話なの
文中の「これらの被害者」については、以下を参照。
ゲイいじめのため、この1ヶ月で米国の10代男子4人が自殺 - みやきち日記
また、文中の Brittany McMillan さんの tumblr は以下。
Facebook や twitter でもアイコンの色を変えたりしてる人がいるみたいだけど、tumblr はdashboard の背景を紫にした、とw tumblr らしいやw
(via vmconverter)
(via katoyuu)
"フランスに来て思ったのは、やっぱりフランス人は怠け者だということです。1998年に政府の決めた週35時間労働制は、月曜日から毎日8時間働くと金曜日は午前中で帰宅できることになります。もちろん同僚は5時か6時で帰りますし、土日休日に働くことはあり得ません。24時間のコンビニはありませんし、日曜日に空いているスーパーもありません。だんだん分かってきたことは、フランス人は怠惰だからこんな社会になったのではなくて、怠惰でいられる社会を未来の理想として、意識的にこの社会を作り上げてきたということです。"
2009-11-26 (via gkojay) (via budda) (via tanu1962) (via atamamushi) (via duub4u) (via doremimate) (via okadadada) (via tutshie) (via ryusoul) (via plasticdreams) (via jumitaka) (via precall) (via 908908) (via jyamil) (via tarl-14) (via furudanuki) (via toraumaboxer) (via sisterpostman)
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"ケータイ小説を「下手だ、読むに耐えられない」と評するのは、どこか違うとわたしは思っている。あれは、言葉を持たないものが、言葉を持たない同志に向けて必死につたない物語を綴っている、その共犯関係で成立している世界なのだ。"
2008-10-21 (via gkojay) (via mnak) (via peckori) (via johnnys) (via sjmp) (via konishiroku) (via dewfalse) (via suyhnc) (via atamamushi) (via extramegane) (via dasglasperlenspiel) (via shikiko) (via sisterpostman)
こういうのいいよなぁーじゃんじゃかやればいいのに。っておもう。強風で事故とかなると困るけど。。。自動車を利用した発電機です。 高速道路に設置します。車やトラックが走るときに起こす風を受けてタービンが回り、年間9600kWh程度の電力を生産するそうです。 (via 高速道路を走る車を利用した発電機 : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン))2007-05-10
これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作である
3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンディーは自らの額に手を当てた。
これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作である。
そして、ガンディーは「おお、神よ」(「ヘー ラーム हे राम」)とつぶやいて事切れたという。
国葬が行われ、遺灰は、ヤムナー川とガンジス川に撒かれた。
非暴力
非暴力(アヒンサー;अहिंसा)の概念はインド宗教史上長い歴史を持ち、ヒンドゥー教、仏教(仏陀に代表される)、ジャイナ教の伝統において何度もよみがえった。また、彼の非暴力抵抗の思想は、新約聖書や『バガヴァッド・ギーター』の教えに特に影響されている。
自らの思想と生き方を、ガンディーは自叙伝の中で書いている。以下にガンディーが語った言葉からの引用を列記する。
私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんなときも、私はそれを思うのだ。
狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、自由と民主主義の聖なる名のもので行われるかということが、死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか。
「目には目を」は全世界を盲目にしているのだ。
私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない。2009-02-18
"タイは、立憲君主制ということになっていますが、実際には国王の権力はそれ以上にあります。
実行力を伴なう枢密院は国王の実力行使の機関であり、国王は立法の拒否権すら保有しています。
さらに、軍隊は国民の軍隊ではなく、国王の軍隊です。
王室の財産はタイのどんな財閥よりも巨大なものです。
プミポン国王の高潔さ、人格は尊敬されてしかるべきですが、
そういった尊敬とは別に、
システムとしてタイの王制では、通常の立憲君主制ではありえないほど国王の権力が強いことは認識する必要があります。"
"ビルマの仏教ではこうやって忘れ去られる事が無上の弔いとされる。"
2009-04-12 (via gkojay) (via petapeta) (via jacony) (via thresholdnote)
"日本の公共サービスや交通インフラは尋常ではなくレベルが高いです。
でもそのレベルの高さに慣れすぎてしまって、それが失われた状況に極端に弱い。しかも、慣れ切ってしまっているから有難味も感じられず、あんまりハッピーじゃない。損です。
日本の技術の「ガラパゴス化」などが指摘されていますが、ガラパゴスと言うなら、この「インフラの異様なレベルの高さ」こそが、最も「特殊日本的」なのではないでしょうか。ガラパゴスというより、温室か実験室のようです。普通の国なら武装したゴリラみたいなのに囲まれている「守られた楽園」が、日本全体に広がっているのです。
繰り返しますが、インフラのレベルの高さそのもの、格差の小ささそのものは、悪いことのわけがありません。
でも、あんまり高いレベルのサービスを無限定に提供してしまい、「レベルの低いサービス」を根絶やしにしてしまうことは、息苦しくてしかも融通が効かない社会を作ることにもつながってしまうのです。
格差を肯定し公共サービスを縮小する方向でものを考えるのは、平等を重んじたいムスリマとして心苦しい部分もあるのですが、多分、現実的でハッピーな平等というのは、実際にある様々な格差を一旦認めた上で、「貧乏は貧乏なりに」「ダメはダメなりに」生きていける、ということのようにも思えます。
一方で、今ひとつ懸念もあって、もしそのように格差をある程度肯定し、多様で緩い日本を作ってしまうと、今まで「均一高品質」「単一民族幻想」が取り柄だった日本から、全然長所がなくなってしまうのではないか、という気もします。日本の何がすごいかといったら、この異様な均質性であって、これを前提にするからこそ、軍隊のように管理された合理的な生産活動が可能だったのです。
裏を返せば、「均一高品質」なんて、所詮賃金奴隷をこき使うのに便利なだけで、実のところ皆んなを幸せにするものでもない、と言えるし、一周回って多少日本の競争力が落ちても、インフラをヘボくして細々やっていく方が、心理的にはハッピーな人生が送れる可能性もかなりあると思いますが。"





